遭難?吹雪の日光奥白根山
1998年12月20日(日)吹雪〜21日(月)晴れ…(予定は日帰り)
忘年会で飲み疲れ、鈍った体を癒そうと純白の山が見たくなった。めざすは日光白根山、湯元から登り、奥白根では風雪で苦しめられた。そこから魔のアクシデントが始まった。まさか自分が山岳救助隊のお世話になろうとは…たくさんの人に心配や迷惑をおかけして恥ずかしい限りですが、みなさんの今後の山の安全に少しは役立つかなと報告いたします。なお、詳細はトピックをどうぞ12/20 湯元…外山…前白根山…避難小屋…奥白根山……ビバーク地点
0740 1020-1025 1100-1130 1300-1315 1645
12/21 ビバーク地点…避難小屋…前白根…外山…リフト上…湯元
0700 0900-0920 0945 1030 1100
メンバー 単独
戦場ヶ原では太郎山方面は快晴、湯元では白根方面はガスっていた。まあ、これ位なら大丈夫だろうと登山届けを投函し出発。日曜日で登山者は多そうだ。トレースもあり全く問題なし。外山までは木の根っこにつかまりながらの急登、そして緩やかな起伏の尾根歩き。
前白根では強い風、相前後して着いたパーティーは一部下山、一部奥白根を目指す。私も奥白根山をめざす。時折吹きすさぶ強風で体が飛ばされそうだ。避難小屋で昼食。そして4人組と前後し山頂を目指す。ほぼ予定通り奥社、そしていったん鞍部におり登り返して強風の山頂に到着。
たった一人の山頂。もちろん展望はゼロ。吹きすさぶ強風の中、どうにかセルフタイマーで記念撮影を終え、下山開始。ほとんど見通しが無いが表示を頼りに奥社を経て下り始める。あれっ、どうも感じが違うなあ?と思いながらも先へ進む。途中で道がわからなくなり右手に行けば小屋か登山道にでるだろうと歩いたが、なかなかでない。
小屋に下る道を途中で間違えたようだ。私は県境より左手に降りていると思っていた。ここらで迷ったなと思った。でも、五色沼あたりにでるだろうと思いながらさらに下る。樹林帯の中、時折腰くらいまでの雪に埋まりながら歩き回る。ちょっとした高台から見るとちょっとした窪地が見える。やれ良かった。これで右に行けばとまだ思っていたので歩き回るがなかなか道にでない。見通しもほとんどなく現在地がどこかわからなくなった。で、うろうろしていると赤いテープが二つ見つかった。他にもないかと探すが見あたらない。あらためて地形図を確認…どうも反対方向に歩いていたようだ。テープは白錫尾根の縦走路のもののようである。
反対に向いて歩けば小屋に行けるかもと考えたが、窪地の積雪はかなりなものであるし時間がかかりそうだ。見通しもない。現在地も確実ではない。
4時半か…携帯はつながらない。家族の心配を考えると歩こうかと思ったがかなり歩き回ったし、このまま歩き続けるのは危険と判断しビバーグを決心する。
場所は歩き回ってた時もしかしたらと思って探していたのでそこまで戻る。岩と倒木でちょっとしたアナグラである。座ると頭がつかえるし、足も曲げないと入らない。でもちょっとは横になれる。雪もわずかしか吹き込んでいない。熊もいない(これが一番怖かった。冬眠してたら…)入り口はザックでちょうど蓋をしたようになり吹雪も苦にならない。
あるものすべて着込み、靴はビニール袋で包みその上から膝までザックカバーをかぶり、体全体をアルミのレスキューシートにすっぽりくるまり夜を明かす。
寒かった。いろいろなことが頭をよぎりなかなか寝れない。眠り込んだら死んじゃうのかなあ?とも思ったが、この位の寒さなら大丈夫だろう。
明日もどうなるかわからないしちょっとは寝なくちゃと思うが、狭い穴の中、体のあちこちが痛くなる。それに寒さで眠れない。朝が待ち遠しく時間が気になる。それでも1時間位ずつ細切れには寝たようだ。穴の中は真っ暗、寂しいのでずっとライトを点けて過ごした。いつの間にか吹雪はやみ、朝方ザックを押しのけ外を見ると星がでていた。いやあ、助かったと思った。(写真はビバークした穴の入り口…翌朝撮影)
ようやく朝が来た。穴の前は昨日歩いたトレースはすっかり無くなり30cm位積もったようだ。窪地にでて地形図で場所を確認、やはり反対に来ていたようだ。昨夜の雪で吹き溜まりなんかは1m以上増えている。胸までのラッセルが厳しい。真っ青な空に時折白い雲が急激に流れていく。これじゃヘリも飛べそうもないな。でも、万一の事もあるし目に付きそうなところを歩こうとラッセルに精を出す。そしてようやく避難小屋に到着。やはりこちらで良かったんだとほっとする。昨夜から泊まっていた人に、状況を話し、もし捜索隊が来たら伝えてほしいと住所氏名を伝え分かれる。
前白根山へはあっという間に到着。今日は快晴、昨日全く見えなかった奥白根が美しい。でもそれを楽しむ余裕はない。一刻も早く家族に連絡をとあちこちで何度もダイアルするが通じない。バッテリー残量もあまり無い。仕方ない、急いで降りようと先を急ぐ。もしかしたら捜索隊でてるかもしれないなと思いながら…
前白根から外山までも全くトレースは無し。これじゃあへたしたら、道わからなくなるだろうなと思いながら進む…ただこちらはテープなどの目印が数多いので安心だ。途中で単独行の人が登ってきた。これでさらに安心、もう大丈夫だ。
外山を過ぎ急坂を滑りながら下る。スキー場リフトのちょっと上で団体に遭遇、コンニチワって挨拶したら「〇〇さんですか?伊勢崎の人ですか?パジェロの人ですか?」と矢継ぎ早に質問がくる。「そうです!!」「ヤッター、万歳。良かった良かった」と口々に叫ぶ。「奥さんから連絡があってでてきました。体調は?昨夜は?」と質問がくる。「ご迷惑かけました。大丈夫です」と答えリフトまで下る。ここで救助隊は本署へ、私は家族と会社へ電話を入れる。
妻は心配して警察まで出かけてきてたので、そこまで行こうということになり先導されて戻る。会社からも上司が二名来ていた。特に問題ないようなのでと事情聴取もなく無罪放免となった。会社でも大騒ぎだったようだ。いやあ、参ったなあ…
翌日元気に出社、でも気は重い。一日中話の種となり疲れてしまった。
ある人は無謀登山だ、遭難という。ある人は自分で帰ったんだから遭難じゃないという。どちらにしろいろいろな人に心配や迷惑をかけたんだから私のミスである。
今回のミスをあげれば…
山頂から下るとき見通しがないにも関わらず、磁石、地図での確認を怠ったこと
間違ったと気づいた時点で戻らず、たぶんこちらに行けばと進んだこと
日帰りだからと無線機を持っていかなかったこと
人が多いからとカンジキを車に置いていったこと
良かったこと…
食料やコンロは2日くらいは充分持ちこたえられる装備だった
レスキューシートや服装に怠りなかったこと
電池の予備がたくさんあったこと(夜は寂しいので点灯しっぱなし)
ビバーグ地点を探していたこと
無理せず歩き回らなかったこと
翌日吹雪がやんで快晴になったこと
登山届けは家族と登山口に出していたこと
保険に入っていたので精神的に気楽だったこと
と、こんな感じで栃木県警の山岳救助隊(10名)にお世話になりました。事前に家族に今までの山行歴を確認したり、登山口に停めた車の確認、登山届けを確認し、同日登ったパーティーに連絡をとり私の消息を確かめたらしいです。で、避難小屋までは到着していたこと。装備は大丈夫らしいとのこと。滑落でなければどこかでビバーグしているだろうと想定していたそうです。で、見つからなかったら明日は大捜索隊を結成する予定だったとのことです。
長々と書きました。皆さんの参考になれば、また私
の今後の山行を考える意味であえて書かせていただきました。無事に帰れたから、結果良かったからと安易に考えることはできませんし、しばらく厳しい山歩きは自粛して勉強したいと思います。
追…後日、お世話になった警察にお礼に行きました。そのとき「いやあ、先日も白根山で遭難があったんですよ。かなり大騒ぎになったんで新聞にも載ってます。貴方のことも載ってますよ。記念にどうぞ」ってコピーを貰いました。それと、私の場合もこの組も携帯がつながらなかったと述べていたのでNTTに確認したそうです。すると「5〜40度以外は電池の能力も低下し繋がらない。長野オリンピックの時もかなり問題になった。低温下ではカイロなどで暖めるとつかえる場合もある」との返事を得たそうです。もちろん通常電波の届かないところは無理ですけど…