中津江村サイクリング
日田〜中津江村〜黒木町〜久留米

 快晴です。こんな日はやはり自転車ですねえ…ほんとは山にも行きたいんですが体が一つしかないんじゃね。 で、ふるさとの中津江村を訪ねようとJRを利用しての輪行です。 鯛生金山から竹原峠を通り、黒木、八女とぐるっと回り走りました。

走った日    06年10月9日
コース     久留米〜JR〜日田〜鯛生金山〜竹原峠〜黒木町〜八女〜久留米
走行距離   104km
参加者     単独

 久留米駅前で自転車を輪行袋に詰める。まだ早朝のため人もまばら、視線を気にすることもなくスムーズに作業することができた。練習の甲斐があったようです。
 今日はJR九大線で日田まで約1時間の列車の旅です。
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 始発、そして土曜日ということもあってか、たった2両編成の列車だが乗客は数えるほど。
自転車を置くちょうど良い場所があった。手すりに袋の口のひもをくくり倒れないように固定。
出で立ちは、上はランニングシャツに半袖ジャージ、そして薄手のウインドウジャケット。下はレーサー半パンツにです。そしてレッグ&アームウオーマー着用です。ちょっと寒かった。
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 車窓からは黄金色した田圃が美しい。のんびり景色を長めながらの旅もいいですねえ。約1時間で高校生活3年間を過ごした日田に到着です。駅前で自転車を組み立てる。タクシーの運ちゃんが物珍しそうに眺めている。
 組み立てていると女子高生達が「おはようございます」と声をかけてくれた。 おおっ、まだこのあたりの子供達は純粋ですねえ。
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 時間も早かったので、豆田の町並みを眺めに寄り道、何度眺めても情緒あふれる町並みだ。まだ朝早くひっそりとしていた。
 ちょっと肌寒いです。ちょっとスピードあげて暖まろう。日田駅まで戻り、いよいよ予定のコースへと出発です。
懐かしい日田の町並みを抜け三隈川を渡る。高校時代の同級生の家はまだ健在だった。わずかに緩やかな登りでR212を大山町へと進む。
道の駅「大山」です。
大山は私が子供の頃「梅と栗でハワイに行こう」を合い言葉に農産業を育て、頑張って町の人達の夢を叶えたところです。大分県は一村一品運動で先駆的な活動をしており、この大山村(今は町ですが)も例外ではなかったようです。
まだ時間が早いため、道の駅はひっそりとしていました。
今から走るところ、マップはこちらをクリックしてね
松原ダムです。梅林湖とも記されていました。
阿蘇外輪山に源を発する筑後川の下流はその昔洪水に悩まされていた。その水害対策としてこのダムが設置されたそうです。そして発電にも使用されています。
このあたりに架かる橋は何故か赤い色が多いです。
奥深い緑の山肌に鮮やかな赤い橋は目立ちます。
 さあ、いよいよ中津江村に入ってきました。看板の「村」は抹消されていますが、町村合併で日田市になったので中津江村といわなくなったんでしょうか?とても町という雰囲気ではないし、似合わないよね(^^;
我が心のふるさとはいつまで立っても「村」であります。
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 中津江村で想い出に残っているのは「下筌ダム」建設当時の「蜂の巣城」です。ダム反対を唱える人々が険しい山肌にアジトを作り反対闘争を行いました。子供心にダムができると生活基盤を奪われたり、住む家が無くなったり大変だなあと思いました。
今ではその面影もなくひっそりと佇み湖面がキラキラと輝いていました。
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 天高く馬肥ゆる秋…真っ青な空に秋桜が似合ってます。秋晴れです。ちょっと風が強く心地よい風とは行きませんでしたが、のどかな稲刈り後の田舎の光景や路側の花々が、ふるさとの旅情をそそります。

このあたりから少しづつアップダウンが厳しくなってきました。 日田は杉も有名です。日田杉で作った下駄はかなり人気があるらしい。スックとまっすぐに育った美しい杉林の眺めもいいものです←写真にマウスを置いてね
カメルーン坂です。
サッカーのワールドカップ、カメルーンの遅刻騒動で一躍中津江村は有名になりました。「生まれは?」の問いに「中津江村です」と答えると、以前は「どこそれ?」って感じでしたが、この騒動以来「へ〜、あのカメルーンの」ってすぐ分かってもらえます。素朴な中津江村の住民が、大挙したマスコミに、目を白黒させながらもカメルーンの人達との交流を大事にした情景が今も目に浮かびます。
 日田から約40km、生まれ育ったところはこの辺かなあ…寂びゆく田舎で生きていくことはできず、一家離散して家族は方々に住んでいる。もう長〜く故郷へ帰ることはなかったが、昨年九州に転勤となって昔日を懐かしく思って我が家のあったところを訪ねた。でもこのあたりかなあと言う程度で見つからなかった。
 今日はそのあたりを再度訪ねた。川に降りてみた。子供の頃釣りや飛び込みで遊んだ大きな岩は健在だった。
 鯛生金山は中津江村にある。この金山を題材にした松本清張氏の「西海道談記」は面白いよ。文庫本で10冊くらいあったかなあ…閉山して観光地と化した坑内にはその様子を記した絵などがあります。
 楽しそうに砂金探しを楽しんでいました。ほんとに見つかるのかなあ…
この金山はその昔東洋一の産出量を誇っていたそうです
今は金山後は観光地になっています。金探し体験や坑内探検を楽しむことができます。坑内後には金の鯛が2匹飾られていました。ふるさと創生ってありましたよね。あのお金使って作られたようです。見事な鯛です。でも心ない人により一匹盗難に遭いました。人の良い中津江村の住民は、まさか盗られるとはねえと唖然としたようです。
 確かに子供の頃家に鍵かけてるところ無かったもんね。

いきなり団子おいしかったです←写真にマウスを置いてね
鯛生中学校
我が母校です。この坂道を上ったところにありました。今は廃校になっています。過疎化が進み村には若者が少なくなり、当然の事ながら子供達も少なくなっています。昔あった家々も廃屋となったり、そこにあった面影もなくなってたりと寂しい限りです。この立派な塀のある家は地元の名士の家です。子供の頃テレビを見に行った記憶があります。まだお金持ちしかテレビがなかった時代です。
竹原トンネル
生まれ育った地あたりからこの鯛生を過ぎて竹原トンネルまで厳しい登りが続きます。このトンネルはまだ出来て真新しい。以前はここから黒木方面行くにはまだまだクネクネ道を登って行くしかありませんでした。このトンネルが出来てかなり交通の便が良くなりました。
トンネルの真ん中が大分県と福岡県の境です。
やったね、これで本日の目標はほぼ達成。後はひたすら久留米を目指すのみです。中津江村は名残惜しいけど、頑張って戻りましょう。このトンネル抜けると楽しい下りが待ってます。中津江村よさようなら、また来るね〜
立派な道路です。
山に目を向けると津江の山々が…
子供の頃は山に育ち山歩きを楽しむなんて事は思いも寄らなかったけど、都会に就職して年月は流れ自然が恋しくなりしばらく山歩きを楽しんでいます。
山の向こうに見えるのは酒呑童子山かなあ…
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厳しい下りです。
ブレーキをかける手が痛くなるほどの下りが続きます。
快適ですけどスピードで過ぎて怖い。まだ骨折した左手が完全じゃないのでハンドルの下を長時間握るのはつらいです。また転けたら大変。ゆっくり慎重に下りました。
日向神ダムです。
青い湖面に赤い橋が目立ちます。このあたり紅葉の時期も綺麗そうですね。今度久留米側から走ってみるかなあ…でも反対コースはちょっと私には厳しい上りですね。このダムあたりまでならどうにかなるかもね(^^;
 矢部郡黒木町って、女優の黒木瞳さんの出身地って知ってました?元宝塚歌劇団月組トップ娘役、いつまでも綺麗な黒木さん。やはり、のどかで自然がいっぱいの地で育ったからですかねえ。
さあ、頑張って久留米まで戻りましょう。
約104km、懐かしいふるさと探訪サイクリングは楽しかった。

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