完歩したぞ 外秩父七峰縦走(40.2km)

 これまでに歩いた記録として残る距離は「利根川ミズウオーク」の20Kmが最高である。この時は精も根も尽き果て、ぼろ雑巾の様な状態で一応目的は達成したものの足を痛めさんざんな結果であった。これじゃあいかんと奮起すること約一年、数々の山歩きを重ね体力の維持(中高年では向上は無理、せめて維持と思っている)忍耐力、根性の鍛錬を行ってきた。最近のハードな歩きとしては桐生仙人が岳山行の時、道に迷い予定外の歩行数と、予定のルートを歩けなかった悔しさからJR小山から桐生間を歩き、総歩行数約32,000歩を苦難の末達成した。で、自分の限界に挑戦してみたくなり東武鉄道の主催する「外秩父七峰縦走ハイキング大会」に申し込んだ。

 標高は割と低いコースで最高でも剣ケ峰の876mである。しかし、新緑はまだ期待したほどでもなかったし、ツツジなどの花々も少なかった。寒かったせいか、山々の春の到来は例年より少し遅いのであろうか?ただ、山村の桜や庭を飾る色々な花はごく自然な形で目を楽しませてくれた。また、コース中展望の良い所も数多くありカタクリの花や、何とかスミレも見られた。
 また、今回はFYAMAステッカーを帽子とザックに縫いつけ誰かに出会うかなと期待しての山行であったが、5000人も参加したにも関わらずステッカー効果不発であった。

【登山日】 1996年4月21日(日)晴のち曇り
【山  名】 外秩父七峰(官ノ倉山、笠山、堂平山、剣ケ峰、大霧山、皇鈴山、登谷山
【同行者】 単独、(ハイキング大会は5000人参加)
【行  程】 小川町駅…官ノ倉山…笠山……堂平山…剣ケ峰…大霧山…皇鈴山…登谷山…寄居駅
        7:05     8:25   11:15  1146:12:10 12:18  14:10   15:23   15:50   17:21
【地  図】 第11回外秩父七峰縦走ハイキング大会地図(1/25000図)

 いよいよ明日はハイキング大会だ。どこまで歩けるだろうか?先着5000名の申し込みとのことである。かなりな大人数であり混雑が予想される。ところどころにはエスケープルートが用意され、完走だけが目的ではなく自分の脚力を判断し楽しむことが出来る。
 しかし、挑戦するなら完歩だ!!との意気込みが有ったが、送られてきた案内によると区間別にスタッフが歩いた標準時間の合計は何と「755分」とのこと。これには食事時間や休憩時間は入っていないようだ。それに区間別の調査だから、長時間歩行時の疲労による遅れも考慮されていないようだ。
 かなりハードな距離に完歩をめざしていた気力が萎え、この位かなあと下山のエスケープルートを考えている私であった。しかし望みはルート中20km位が舗装路とのことである。何とかなるかなと密かに完歩を胸に、家族には25km位を目標と控えめに宣言する。

 寄居駅のチェックポイントの開設は18時30分迄である。13時間かかるとして完歩をめざすなら6時半スタートでも厳しいが(スタート時間は6:30からと限定されている)残念ながら交通の便悪く、朝一番に発っても7時半頃になってしまう。頑張って早起きし5時に家を出る。熊谷から秩父鉄道で寄居駅、そこで東武に乗りかえ小川町駅に到着。乗り継ぎがスムーズに行き7時頃着いた。

 受付では、人人人である。中高年が多い。しかし、家族連れ、恋人同士、若者同士のグループも多い。あの人大丈夫かなあと思えるようなお年寄りもいる。それぞれが自分にあったコースを選び挑戦できるのがこのハイキング大会の良いところであろう。エスケープルートには臨時バスも準備されているし安心して挑戦できるのである。人波をかき分け受付を済ます。地図、記録カード、記念のバッジを受け取りスタート時間を自分で記入し「頑張って下さい」のスタート係りの捺印を貰い、いよいよ40.2kmをめざして出発だ

 まずは官の倉山をめざすが、ぞろぞろと区切り無く歩く集団は異様である。まだ皆元気がよいので結構早足である。先が長いが、ここで遅れてなるものかとつられてお互い足が速くなる。マイペースを守らなければと思うが集団心理に負けやはりつられて早足になってしまう。
歩道から山道にはいるところでは早足でやってきた集団が当然のごとく一列にならざるを得ず長い行列で遅々として進まない。この調子では完歩は無理であろうと先が思いやられる。それでも完歩をめざす人は脇にそれ小走りで進んでいる。私はこの行列が早足で歩いてきた興奮を押さえるのにちょうど良いタイミングであった。静かに列が進むのを周りの桜でも見ながら待つ。

 ところどころ渋滞に巻き込まれながらもやがて鎖場に到着。ここでも渋滞だ。鎖が必要なところでもなく、脇をすり抜け一気に多数を追い抜き石尊山を経て官の倉山の第1チェックポイントで捺印をもらう。山頂は狭いとのことで山頂には登らず手前で捺印だ。山頂をめざす人もなく次のチェックポイント笠山をめざす。
 和紙センターではこの日の為に臨時売店が開かれており、飲み物や弁当が飛ぶように売れている。まずは牛乳(100円)で元気を付ける。ここより山道に入り萩平から雑木林の気持ちよい道を歩き笠山に到着。ようやく14kmである。約4時間で渋滞と体調を考えればまずまずの調子である。山頂からは日光方面の白く雪をかぶった山々の展望が素晴らしい。しかし先は長い。休憩もそこそこに堂平山をめざす。

 堂平山は笠山から僅か2km位であるが、チェックポイント手前でどうにも足が進まなくなる。ここら辺が限界かな、前半のハイペースと空腹が原因であろうか、かなり追い抜かれようやく天文台観測所のある堂平山に到着。先ずはコンビニのおにぎりで空腹を癒す。今日は荷を軽くするため小さなザックとしたのでストーブは無しである。コーヒーも飲めない。暫く芝生の上に足を投げ出し横になる。食事をして元気を盛り返し剣ケ峰手前の丸太の階段を通過し、白石峠を過ぎ見晴らしの良い道を定峰峠をめざす。この辺の各峠はエスケープルートとなっており、完歩をめざさない人は下山出来る。

 先ほど歩いてきた堂平、笠山が見える展望の良い道を大霧山をめざす。大霧山は展望の良いところだ。浅間山や西上州がよく見える。これからめざす秩父牧場、二本木峠、皇鈴山の連なりが展望できる。かなりの距離がまだ残っている。ようやく23kmである。出発して約7時間、まずまずのペースだ。しかしかなり疲れた。ここらあたりであちこちから「この時間で完歩出来るかなあ」「大丈夫ですよ、ここまでくれば後は楽だから」との声が聞こえる。ここあたりまで来た人はかなり完歩を意識しているようだ。何しろゴールの開設時間は決まっておりそれより遅いと受け付けてもらえず完歩はしたものの、証明は無しだ。これでは自己満足に終わる。やはり完歩証明を貰いたいのは人情である。

 さあ、あと約半分だ。ここらで一息入れてゴールをめざすぞ〜

 あと17kmを4時間30分だ。今までのペースでぎりぎりといったところだろうか。しかしかなり疲れてきた。足も少し痛くなってきた。私の右足は昔の怪我で少し欠陥品なのが気がかりだ。左足は去年の山行で痛めた膝が心配だ。これより長い距離は未知の世界である。最後のエスケープルート二本木峠で判断しようと先を急ぐ。
 途中、おじさんと女性の会話「牧場の牛乳は美味しいよねえ」「そう、去年も飲んだけど美味しかったあ」「チェックポイントのはんこ、牛乳、寄居駅でのビール、何とも言えないね。」「そう、頑張りましょうね」だって。これを聞いた私のつぶやき「結構年に見えるけど完歩したんだ。すごいなあ。寄居でのビール、これも同
感だな。牧場での牛乳か、これは私の職業柄飲んでみる価値は有るな。よし頑張ろう」と疲れた体に言い聞かせ先ずは牧場をめざす。

 牧舎が見えてのどかな牧場風景が現れた。さっそく牛乳を求め売店に走る。しかし、なんと「売り切れ」の薄情な文句が貼られていた。ガビーンとショックを受ける。まあ、私は我慢できるが、先ほどの人はかなりのショックであろう。おかげで完歩する気力が失われなければ良いがと他人事ながら心配になる。牧場を後に道路歩きで二本木峠に到着。2時55分である。ここから最終まであと3時間くらいかかります。良く体調を考えてねと地図に書かれている。エスケープルートもここが最後である。
 
 係員に「大丈夫ですかね、時間まに合いますかね?」と問うて居る人がいる。「ここまで来たらゴールめざさなくっちゃ。ねえ」と係員に同意を求める人がいる。係員「歩けそうなら頑張って下さい。ふつうに歩ければ時間的には大丈夫ですよ」そうですよね、他人の体調は係員には分からないし、大丈夫ですよ、頑張るしかないですよ等と下手なこと言って責任問題にでもなったらたまりませんよね。最後の決断は自分自身で行い、責任は自分にあるのですよね。私もしばし考慮の末、寄居駅をめざすこととした。時間にとらわれずに歩けば、心配していた足や膝もどうにか持ちそうだし、距離的には問題なさそうだ。とにかくゴールをめざそう!!

 もう、「調子が悪かったらエスケープルートを…」との消極的な考えは、きっぱり縁を切って「なにが何でもゴールをめざすぞ」と気持ちを奮い立たせる。それも「出来れば時間内に……」しかし周りを見渡せば結構な人波である。一時の渋滞は解消されたものの頑張っている人たちは多い。まだ小走りに走って先を急ぐ人も結構見られる。走っている人たちは自己記録に挑戦であろうか?程なく広い山頂の皇鈴山に到着。係りの人から「お疲れさん、あと10km位ですよ、頑張って下さい」との励ましである。到着番は1150番位らしい。ここでは係員は二本木峠の時と違い「もう少しですよ、頑張ってゴールめざしましょう。この時間なら大丈夫ですよ」と励ましてくれる。

 最後のチェックポイントは登谷山だ。ここも日光方面の展望が素晴らしい。眼下の町並みも広々と広がっている。到着番は区切りの良い1100番とのことである。よし、それならゴールでは1000番以内をめざそうと欲が出て、下りを走るように駆け下りる。目標が有れば結構元気が出るものだ。しかし、足はかなり疲れてきた。下りきったところで、売店の前に長い列が出来ている。覗いてみるとおばさんが大きなやかんに入れた牛乳を販売している。コップ一杯200円だ。先ほど飲み損ねた為列に並ぶ。うん美味しい。満足だ。ビールを飲みたいところだが、まだまだ先はある。

 これより車道歩きとなる。途中、名水百選日本水(やまとみず)のサービスがあったが、牛乳を飲んだばかりであり辞退する。あと8〜9km位であろうか観光客の車に気をつけながら歩くのも結構疲れるものだ。時折、まだまだ余力のある人が走り去っていく。それを見て少し小走りに先を急ぐ。急な下りではかなり時間を稼ぐことが出来た。いよいよ市内に入り、最後の小走りが効いたのかゴールに時間内にはいる目安がついてきた。しかし、足も限界に近づいてきた。左の膝の方が先に痛くなってきた。右はどうにか大丈夫である。やはり膝は無理は禁物なのであろうか。

 市内に入り完歩を意識しだした頃、突然大きな音で昔懐かしい「ゆうやけこやけでひがくれて〜」のメロディーが流れてきた。この地区の5時を告げる放送である。何とものどかな感じに今日一日の疲れなど吹き飛ぶ感じである。突然、以前暮らした広島時代を思い出した。あそこでも夕方になると同じ様な音楽が流れ最後に「良い子のみなさん、早くおうちに帰りましょう」と放送が有った事を…
 遊びに夢中になってた我が子もその放送を効くと帰ってきていたものである。今は大きくなって山登りにも付いてこないが、小さかった頃のかわいらしい子供達のことを何となくその時のことを思い出し懐かしくなってしまった。

 感傷に浸っていたら、見晴らしの良い大きな川にかかる橋に到着。ここまでくればゴールは目の前だ。最後の気力を振り絞って走った。と、突然横を歩いていた高校生くらいの女の子も走り出した。お互い負けまいと必死であるが、若さには勝てず負けてしまった。
 女の子に「頑張ったねえ」といったら「おじさんもね」とさわやかな笑顔で答えてくれた。並んで最後の捺印を受け完歩賞を受け取る。残念ながら到着番数は不明であった。データも取っていなかったようだ。まあ、完歩出来たんだから順番なんて問題外である。
 
40.2km、所要10時間16分」本当に歩いたんだと胸にじーんときた。総歩行数57,840歩であった。周りを見渡すとかなりの人たちが完歩の喜びに浸っている。早速ビールを飲み乾杯しているグループもいる。じっくり賞状や完歩バッジを眺めている人あり、記念写真を撮っている人あり。電話ボックスの横で上半身裸になって着替えている人達もいる。まあ、今日だから駅前で裸になっても許される光景であろう。
 
 電車の中で飲むビールは格別であった。これがあるから山歩きはやめられない

 このハイキング大会は毎年開催されているらしい。「来年も参加する?」て聞かれたら今の答えは「いやあ、もういいよ」です。しかし足腰の痛みも取れ苦しみを忘れた頃には「また参加しようかな」って、申込書を書いてるかもしれません。たまにはこういう怒濤の人混みに紛れて、自分の脚力を判断するのも良いような気がします。「また参加できるように健康な日々を過ごさなくっちゃ」との目標にもなりますよね。

 帰って子供達に「やったぞ、お父さん40.2km最後まで歩いたぞ」と報告。「お父さんやったね。凄いなあ」と子供達。満足満足。乾杯して早めに就寝。(爆睡)