落城の悲話にまつわる伝説の山 上州・嵩山
1995年12月23日(土)晴時々曇り
上州 嵩山(789m) 群馬県中之条
葉の落ちた木々の間から降り注ぐ太陽。小鳥の声を聞きながら落ち葉を踏みしめてのんびり歩く。と思っていると、程良い鎖でちょっとした岩山歩きの雰囲気も感じられる嵩山。戦国時代の落城にまつわる悲しい伝説にふさわしい石像巡りと手軽に充実した山行が楽しめた一日であった。
表登山口…天狗の広場…小天狗…不動岩…天狗の広場…胎内くぐり…中天狗…御城平
1015 1050-55 1100 1110 1130 1140 1145
…経塚…嵩山頂上…烏帽子岩…五郎岩…骨岩…一升水…弥勒岩…東登山口…表登山口
1150 1205-55 1315 1335 1345 1355 1407 1410
戦国時代に岩櫃城の支城として、岩櫃城主・斉藤憲広の子、城虎丸が守っていたが永禄8年(1565年)真田幸村の祖父、幸隆の攻略を受け激戦の末落城、本丸北の天狗の峰から虎丸他多くの家臣達が自決したという悲しい落城の伝説を秘めた山である。こうした戦死者を弔うために建立された多くの石像が至る所に見られる。
(ガイドブックより抜粋)
久しぶりにのんびりした山歩きを求めて、以前から気になっていた悲しい伝説の残る嵩山に行って来た。中之条町の麓から眺める嵩山の雄姿は低山ながら登行欲をそそる。また登山口から眺める岩場は結構厳しそうだ。登山口には33観音の場所を記した立派な案内標示板がある。いくつ見つけられるだろうかと思いつつ登り始める。
数分も行かないうちに竹林となり「1番 学問の神様」が右手にあった。その時、右側の方でガサガサと犬くらいの大きさの黒い動物がうごめいている。動きは鈍いが竹藪の中のために全貌が見えない。「クマッ??」まさか、こんな低山で人家の付近にいるわけないよな…と恐る恐るのぞき見るが、ガサガサと音はするものの見えなくなった。用心のため鈴をつける。しばらく歩いていると、姿は見えないがまだ音がする。何となく気になるが特に問題はなさそうだ。たぶん犬だったのであろう。竹林が終わる頃にはいなくなったようで安心する。
賑やかな小鳥の声を楽しみながらジグザグの道を登りやがて展望台だ。榛名山方面の展望が手に取るようだ。中之条の町が底霧の中にぼんやりと見える。休み石から2番、こうもり岩に到着。夕刻にはコウモリが飛び回っているのであろうか、大きな石の下、鬱蒼としている。やがて天狗の広場だ。木々の葉っぱはすっかり落ち、ベンチやあずま屋のある展望の良いところだ。設置された鳥瞰図から榛名、赤城方面、遠く日光、妙義方面も見える。一休みの後、子天狗に向かう。ちょっとした岩山の感じだが全く危なげはない。眼下に不動岩がそそりたって見える。一人の男性が岩に張り付いている。
子天狗から急な下りもほんの少しで石門をくぐり、不動岩の基部に到着。8m程の鎖を頼りに登る。もっとも鎖の手を借りなくても登れる程度であり心配はない。先ほどの男性はロッククライミングの練習であろうか、20数mの垂直な岩壁にザイルを張っていた。しばらく言葉を交わした後不動岩を後にして、天狗の広場から胎内くぐりを目指す。あちこちに道がありどっちを行って良いか迷うが、表示はたくさんあり心配はなさそうだ。ガイドブックには胎内くぐりには…とあったが、鎖もなく着いてしまった。おかしいなと見渡すとどうも反対側から登ってきたようだ。幅約25cnの狭〜い隙間を腹を一生懸命引っ込めてくぐると(勿論ザックは引っかかる為置いていく)長い鎖がはってあった。折角だから一回下って登り直す。土のため滑りやすく、ここは鎖がなかったら登れない感じだ。
落ち葉を踏みしめて中天狗から御城平に到着。70数体の30〜50cm位の様々な格好の石像が木漏れ日を受けてコの字型にひっそりとたたずんでいる。落城時代の伝説が生々しく思い起こされる。石像は風雨にさらされたせいか損傷著しく、顔部のあるのはわずか25体であった。敗兵の悲しそうな姿を代弁しているようだ。静かに目を閉じると小鳥の声と共に戦いのざわめきが聞こえてきそうだ。
わずか下ると経塚に到着。木柱に「…嵩山合戦戦没者精霊……」と記されている。ここから数本の鎖を頼りに岩尾根を登ると三角点のある大天狗頂上だ。雪を被った草津白根、浅間山、谷川岳が雄大だ。凸凹の妙義も見える。眼下に広がる無惨に刻まれたゴルフ場が目障りであるが、360度の好展望だ。ラーメンとコーヒーでゆったりと昼食とする。しかし静かだ。ぽかぽか陽気の中でコーヒーを飲みながら、一人でこの素晴らしい展望を独占するのはちょっとした贅沢だ。
経塚に戻り、烏帽子、太郎岩を往復する。そそり立つ烏帽子岩をどうにかして登ろうと試みたが途中で断念した。五郎岩からは逆光のため、いまいちの景観であったが歩いてきた峰々が一望できて満足であった。紅葉時期や新緑の時期はまた違った雰囲気の山であろう。又時期を変えてきたいものだ。経塚から東登山口を目指す。途中「骨穴」に寄り道する。展望の良い岩尾根を下り、入り口は狭いが中は大きな岩穴であり、21番の石像が安置されている。名前からして天狗岩から飛び降りた城虎丸達の遺骨でも納骨されているのでは…と勝手な想像の世界に浸る。ここはちょっと道がわかりにくかった。
道を戻り、一升水と呼ばれる垂直以上にふんぞり返った絶壁を見上げると後ろにひっくり返りそうだ。ここには21〜25番の石像があった。「あれっ?21番は先ほど骨穴であったよなあ?」確かに21番であったがなぜだぶっているのであろう?骨穴は行きにくいからこの下に設けたのであろうか?ミステリーである。もう確認に行く元気は残っていない。後日役場にでも聞いて確認してみよう。
次は先程の絶壁の中腹にある弥勒穴と呼ばれる岩穴だ。横縦の数本の鎖に助けられて到着。ここは鎖がないとしんどいであろう。距離はないが、慎重さが必要だ。
これより杉林の中を下りわずかで登山口に到着だ。案内標示板を再度じっくり見たが21番は確かに一升水の所に記されている。骨穴の21番の不思議を胸に、麓から見上げる嵩山はこじんまりとしてはいるが楽しい山歩きで満足であった。
33観音のうち、確認できたのは20数体であった。オリエンテーリングのように全てを探し歩けばさらに楽しい山歩きができるであろう。今度は春のツツジの時期にでも行ってみようかな……
なお、鎖場は結構あるが無ければ登れないといった危険、困難な所は無いので気軽に登れる低山としてお薦めであろう。