越後 丹後山〜中ノ岳 その2 2001年9月23〜24日(快晴)
下りでアクシデント発生、大変だあ(^_^;)
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朝、今日は下るだけ、のんびり起きようかと思ったが、早立ちの人は早々に出発の準備。そうなるともう寝ておれない。目が覚めてしまった。じゃあ、朝焼けでも眺めようと外に出る。皆、日の出を見よう、写真を撮ろうと思い思いに東の空を眺めている。5時半頃、待望の日の出、ぽんぽんと手を打つ人、いやあ、綺麗だねえとの声があちこちから聞こえる。爽やかな一日の始まりだ。「おはようございます。じゃあ、下であったらよろしくね」と女性(以後Sさん)から声がかかる。この女性、昨日は駒ヶ岳の方から登って来て今日は十字峡に下るとのこと。昨日、どこかのおじさんの仲介でそんな話があり、時間が合えば六日町駅まで送りましょうと言うことになったのであった。
私は寝物語に聞いていたので、忘れてしまっていた(^_^;)じゃあと言い残してSさんは下っていった。
この時は、まさか大変な一日になるとは知る由もなかった。もうすでにほとんどの人達は出発してしまい、残るは5人ほどとなった。Aさんも今日はのんびりと出発のようだ。じゃあ、お先にと下山を開始する。
山頂で記念撮影。今日も最高の天気で展望がよい。池ノ段(9合目)でKさんに追いついた。このSさん、身体に障害を持つお子さん連れである。以前はとても山に登れるような身体では無かったようだが、徐々に登り始め今でもSさんの良いパートナーとのこと。なかなかの健脚にびっくり。私も下りは結構早いほうだが、この二人も遅れることなく着いてくる。下手すると追い越されそうな感じだ(^_^;)
7合目あたり迄は結構な下りだ。今日も厳しい下りの続くコースだ。慎重に下ろう。途中Sさんに追いついた。昨日歩いた丹後山からの稜線、こちらから見るとなかなかロングコースに見える。あそこ歩いたんだなあとちょっといい気分。反対側は憧れの八海山からの縦走路オカメノノゾキから御月山への急な登りが見える。いやあ、あんな登り返し、こりゃあ三山縦走はただ者じゃないぞといつの日か挑戦したい衝動がわき上がってきた。途中小さな池塘がいくつかあった。池に映る景色はいつ見ても絵になるなあ…
のんびり歩いているとA氏が追いついてきた。これ以降日向山までは5人で連なって歩いた。日向山はちょっとコースから外れたところが山頂だ。折角だからとみんなで山頂へと向かう。眼下には目的地のしゃくなげ湖が見える。圧巻はやはり縦走コースの厳しい登りの景観だ。朝日が当たって厳しさもひとしおに見える。ここが下りの約半分のところだ。まだまだ先は長い。
ここからも滑りやすい樹林帯の坂道で緊張する。「痛〜い」とSさんの声、先を歩いていた私とA氏がそのただならぬ声に引き返す。どうも転んで足を痛めたようだ。大丈夫かなあとみんなで心配そうに声をかける。「………痛い!」と声が出ない。「足がブラブラする!」と言う。歩けるか様子を見ようとしたが、立つことすらままならないようだ。ただの捻挫ではなさそうだ。脱臼か骨折か…やはり症状は骨折のようだ。「大丈夫、這って降りるから…」というが、この足では這うこともままならぬようだ。どうしよう…とりあえず処置しようと痛みをこらえてもらい靴を脱ぐ。今にも泣き出しそうな顔。Sさんの持ってたテーピングテープとA山の持ってた三角巾で固定する。そして靴を履かせる。どうこれで歩けそう?とみんなで見守る。
立とうとするが足がブラブラすると言う。やはり駄目か!おいて行くわけにもいかないなあとみんなで相談する。う〜ん困った。肩を貸しても歩けそうもない。相談の結果、SさんのザックをKさんが背負って先に下山。我が輩とA氏が背負って降りようと言うことになった。しかし言うはやすし、行うは難し。私のザックにAさんのザックの中身を移し、まずAさんが背負う。そして私は二人分のザックを背負う。いやあ、重い!!Sさんを背負ったAさんも一人では立ち上がれない。よっこいしょと後ろから支えて立ち上がる。ちょっと急な下りも後ろからサポートしながら下る。いやあ、参ったなあ…
それでなくてもこのコース、急なコースで知られている。Sさんを背負っての下り、急なところは二重遭難の危険もある。仕方がない、痛いだろうが尻餅をつきながらズリズリと自力で何カ所か下って貰った。そしてまた背負う。そうしながら交代で背負いながら1時間ほど下っただろうか?誰か来れば協力して貰おうかと思いながら下っていたら、千本松原の少し上あたりで下から4人が登ってきた。「大丈夫ですかあ〜、Sさんから聞いて応援に来ました」と神の声!!
そのリーダーはてきぱきと同僚を指示し、一人は私のザックを持って下山、もう一人は「救助隊の要請必要なし、自力下山する」との連絡に走らせる。
そして残った二人と私たちで交代交代で更に背負って下る。時々鎖場が現れる。急な粘土質の滑りやすい下りが現れるとやはり背負うのは無理。みんなで前後左右からSさんをサポートし、肩を持ったり落ちないよう細引きで縛って支えたり、いやはやなんとも大変だった。そしてようやく水場に到着。冷たい水を汲みに行ってくれたAさん、何とも頼もしい。冷たい水の美味しかったこと。ここから応援の二人のザックが増えた。さあ、頑張ろうと声をかけまた慎重に背負って下る。しかし長続きはしない。休みやすみ下る。
また下から二人登ってきた。先ほど下った二人だ。手にはおにぎりが…「腹減ったでしょう」と差し出す。状況を聞いた登山センターの人が作ってくれたそうだ。今日は午前中に下れるからと朝食もそこそこに出発していたので先ほどから腹がグーグーとなっていたのだ。しかしザックはもう先に降りている。みんな頑張ってるのに弱音は言えない。そんな時にこのおにぎり、いやあ、美味しかった。さてここでまた相談、下ったら車で病院まで送ろうと言うことになっていたが、「やはり救急車を呼ぼう。休日だしその方が病院のたらい回しをされずにすむだろう」とのことで、一人はまた先に下り連絡に走った。このコース携帯電話は何度か挑戦したが通じないのだ。私の無線機も先に降ろしたザックの中だった。もう一人はザックを持って先に下る。
そうしながら下っていると、また下からおじさんが登ってきた「いよ〜どうだい」と声をかける。登山センターから連絡を受けた地元の救助隊の人だ。救助要請必要なしとのことであったが、様子見に来たとのこと。私たちの疲れ切った様子を見て「俺が背負って下ろう」と言い、長い帯を出した。ふ〜ん、そんなして背負うのかと一同感心した。立ち上がるときこそ人の手を借りたが、その後はスイスイとくだる。一同唖然とする。見たところ60歳前後と思われる風体であったが、何とも頼もしいこと。そのおじさん15分弱一人で担いで下った。
そしていよいよフィナーレ。登山センターが見えた。コンクリートで固められた登山道をくだると到着。センター前につき心配そうに待っていたグループやセンターの人、そしてともに頑張った4人、おもわず「万歳!!」が誰からともなくわき上がった。待つこと数分で救急車が到着。てきぱきと傷の手当をしてサイレンを鳴らしながら彼女は去っていった。多くの人の協力で彼女も無事下山でき感謝していることだろう。見ず知らずの救助に関わったみんなは名も語ることなく、「じゃあ、お疲れさん、お互い気をつけようね」と爽やかに分かれた。
山行記の最後は、救助活動ばっかりになってしまった。怪我人搬送に気を使って景色を見る余裕も写真を撮る余裕もなかった。ただひたすら自分の順番が来れば歯を食いしばり、限界まで背負って交代する。ただただ重かったことと、急なコースであったとの印象だけが残った。
今回の事故は「単独行はやっぱりやめようね」と言う人もいるでしょうね。私も単独が多いからより慎重にしなければと心したのは事実である。でも単独だから危ないと言うことはないと思う。怪我をするのは単独だろうが複数だろうが個人個人に降りかかる災難?であろう。むしろ複数の方が無理をしたり意見が合わなかったりして事故に遭う確率が多いように感じる。ただ、単独はやめようねっていうのは、いざ事故が起きたときの救助体制に問題があるからでしょうね。寂しい誰も通らないような山だったら連絡もできないし、ひたすら自力下山に挑戦するか誰か通るのを待つばかりであろう。携帯や無線機があればそのようなときは助かるでしょうね。
でも複数でも安心はできない。今回経験して分かったことだが、人を背負って下ることが、いかに厳しく難しく辛い事であるか、そして時には危ないものであるか…単独行がどうのこうのという議論以前に、山で骨折したり捻挫したら自力下山は無理ということをいつも念頭に置き、より慎重に無理をしないことでしょうね。たぶん…