感激の3000m峰、前穂・奥穂縦走  (2)   

1995年8月25日〜27日  晴れ時々曇り

山頂はガスってるものの天候は良い。暑くなりそうだ。
紀美子平までの標高差約700mの重太郎新道、噂には聞いていたが岩場にかかる鎖場、鉄梯子はかなり手強そうだ。皆黙々と登る。リーダーの辻さんは軽々と登る。岩場でもほとんど手を使わない。確実に足だけで登る。それでいて無理してる様子はない。バランス感覚抜群だ。こちらは、必死にしがみつき四つん這いである。
 昨日は割と列は詰まっていたが、今日はどうしても間隔が開きそうになる。私はほぼ全行程リーダーのすぐ後ろの場所を確保していたので割と楽であったが後ろの方は結構ハイペースにみえる。ここは登りより下りの方が怖そうだなあと思いひたすら登る。左に急峻な明神岳がそびえ立つ。程なく紀美子平着。

 紀美子平にザックを置き前穂高岳をめざす。荷が無いと快調である。勢い余ってバランスを崩しそうになる。相変わらず急な岩稜、遠くの展望はいまいちであったがとにかく登頂記念撮影。山頂は石ころだらけで結構広く皆思い思いに感激に浸っている。ときおりガスが晴れると険しい尾根が見え隠れし歓声が上がる。
 ここでヤマケイの集合記念写真撮影である。どうせなら目立つところ、目立つ格好でと思ったが日頃から奥ゆかしい私である。今日も控えめに赤系統の帽子をかぶって最前列ちょっと右よりに構える。「ふむふむ、ここなら旗の近くだし豆粒みたいな写真でも分かるかな」などと1人つぶやき満足する。撮影者はヤマケイの伊藤さんでした。ちゃんと写ってるかなあ?

 360度大パノラマは望めず後ろ髪を引かれる思いで紀美子平に戻り昼食とする。次は奥穂だ。吊尾根と呼ばれるところを快適に歩く。右手に常念、大天井岳がくっきりと見える。あちらも今度登ってみたい誘惑にかられる。残念ながら笠ガ岳方面は全く見えない。急な登り、鎖場を過ぎると程なく穂高連峰最高峰の奥穂に到着、3190mの山頂に立った感激で疲れも吹っ飛んでしまう。山頂には大きなケルンが立っている。ここでも記念撮影の嵐である。ケルンには女体の人形があったが、登頂記念であろうか何とも不釣り合いに感じた。展望は相変わらずであり、風も強く寒くなってきた。時折切れるガスの合間からジャンダルムが見えた。

 寒いため早々に下山、一気に穂高岳山荘を目指す。山荘手前では今日一番の難所、鉄梯子にちょっぴり尻込みする。眼下には赤い屋根の山荘が見える。油断は禁物だ。しっかりと足元を見つめ一歩一歩確実に降りる。山荘前の広場では先客がくつろいでいる。とりあえず割り当てられた部屋に入り一休みだ。ここも綺麗な山荘であった。トイレには色々な山名が付けられている。水洗もあるそうな。私は利用しなかったが山小屋で水洗とはびっくりした。使用後の水や排泄物の処理はどうなっているんだろうか?
 遠く常念方面の雄大な展望を楽しんでいると第二班が梯子を下ってきた。はたから見ていると何ともスローペースだ。本人達は慎重、緊張であろう。怖さでか、梯子にしがみついたまま動かない女性もいる。1班のリーダーも応援に駆けつけ要所要所でサポートしている。無事全員降りてきた。降りてしまえば感激も倍増。「怖いけど面白かったね」「割と楽だったね」等と満足げである。
 広いテラスでは沢山の人達が今日の行程を終わり、楽しそうに語らっている。眼下には涸沢ヒュッテ方面や北尾根がよく見える。涸沢岳も見える。下の雪渓では子供達が雪遊びに夢中だ。

 一段落した後で涸沢岳に行こうかとの話しもあったが、帰りが食事時間ぎりぎりとなる為、明日早朝晴れてたら行こうかと落ち着く。休憩も程々に何人かは登った人もいたようだ。 部屋でくつろいでいると、「夕焼けだ、早く早く」との声に誘われて行ってみると常念方向に綺麗な夕焼けが天を焦がしている。早速カメラと三脚を取りに戻り傑作をものにしようとプロカメラマンの心境だ。こんなに素晴らしい光景で、感動的な写真が撮れないはずがない。いつまでも見飽きない光景であった。
 食事後は食堂で映写会である。大入り超満員の盛況である。私たちは階段に陣取り鑑賞した。上の方だったので幕の上の方が見づらく首をねじ曲げての鑑賞となった。題名は「神々の相貌」という16mmである。穂高の四季が見事にとらえられており、感動ものの作品であった。

夜になり「星がすっごく綺麗だ。天の川も見えるぞ〜」との声にまたまた誘われて夜空見物である。石畳のテラスに寝っ転がって眺めた星は今まで見たこともないような満天の星空であった。さて山小屋の夜は早い。もう寝る時間だ。今日も皆同じ部屋だが定員に余裕があった為、わりとゆったりであった。昨夜の鼾発信源の人は部屋に余裕があったのか気を使って別部屋を確保したそうだ。次の日皆爽やかな目覚めを迎えたのは言うまでもない。私も本当にぐっすりと寝入ってしまった。
 何時か分からないが突然足元に痛みが走ったように思った……犬にかまれたのか、大地震か、なんだ、なんだ……しかし何も音もしない……なんだ夢だったのかとうつろな頭で考えた。やはり夢だったんだ。………???熟睡………

 次の日食事は早いものからということで、天気が良ければ涸沢岳も行ってこようと話していたので今日も早起き3時である。荷物の整理、トイレも順調に終わり5時からの食事に4時前から並んでいた。一番である。後ろに続く人達も皆ヤマケイの生徒達である。窓の外はまだ暗いが、早立ちの人達がランプを着け出発している。光の道が神秘的だ。日の出を見る予定だったのだろう。あいにく今日は凄いガスである。全く見えない。もちろん涸沢岳も断念となった。残念、昨日無理してでも登っておけば…とは後の祭りである。
 最終日、今日はただひたすら下山である。濃いガスのなか、元気に急な岩場の下り、ザイテングラードを降りる。下に行くに連れガスガ切れ涸沢ヒュッテが見えだし周りのテント場には色とりどりのテントが張られている。「山と渓谷」と記されたテントも見られた。宣伝だろうか、山と渓谷社の別荘、保養所、独身寮??だろうかいくつも見られた。ここからもただひたすら下りである。綺麗な沢が見えてきた。一休みだ。沢の水で体を拭く人も見られる。
 本谷橋を渡り右手に屏風岩がそびえ立つ。岩に取り付いている人は見えなかった。凄い岸壁だ。ここまで来れば横尾はもうすぐらしい。さすがにまだかまだかと思う程、疲れが出てきた。
 10時20分ようやく横尾着。穂高東壁画見える。昼食後ここで終了式をやるそうだ。しかし、帰りを急ぐ人達は昼食もそこそこに終了式を待たず上高地を目指す。なんとなく最後になって統制が取れなくなってしまったみたいで最後のけじめがピリッとしなかった。残ったのは1班では数人となり、心細くなってきて修了証を受け取り上高地を目指した。ここから上高地バスセンター迄は平坦なコースであり心配はない。心配はバスの行列だけだ。
 新潟、滋賀から来た女性、千葉から来た男性とともに急ぐ。かなりハイペースだ。途中、井上靖の小説「氷壁」の舞台となった徳沢や池の綺麗な明神を横目にペースをあげる。ビジターセンターで無事到着の報告を行い、別れを告げる。名残惜しく

 とにかく急いで土産を買いバスの列に並ぶ。東京駅並の混雑である。土産物屋の混雑はディズニーランド並である。大きなザック背負って店にはいると大きな迷惑そうな顔をされているようで気が引ける。上高地って凄い人気なんだなあと驚きである。バスを待ってると槍が岳に登ってきたという女性がいた。なんと同郷の群馬県人沼田からきたそうである。バスの席が離れていた為多くは話せなかったが印象に残った人であった。またどこかで会えればいいなあと思うこのごろである。

 とにかく、初の穂高登山は無事終了した。槍が岳も見えず、山頂からの大パノラマ展望こそいまいちだったものの、2泊3日の思い出はいつまでも心に残るであろう。そうそう、有名?な雷鳥は見ることが出来ました。思い出の写真もばっちりでした。先日スライド映写会を家族で催し、得意げに語る私は大満足でした。
 それから、穂高山荘での足元の痛みの夢?は正夢でした。次の日の帰る間際に「ゴメン、昨晩足踏んづけてしまって……」と謝る人がいました。「えっ、夢じゃなかったの」と思わず行ってしまいました。また、前穂での記念撮影で着用した帽子が無くなってしまいました。穂高山荘を出るとき大分探したのですが、ミステリーか、どこにもありませんでした。どこへ行ったのやら、拾った人がいたら連絡下さい。山荘で買ったバッジも付けたままでした。まだまだ初心者の私、やはり緊張していたんでしょうね。

 帰りは道路が混んでいて5時間かかり20時着、お土産を無事家族に配ることが出来ました。あ〜あ、これでこの夏のメインエベントは幕を引きました。また、来年行こうかな!!